Output Note

思考や感情を明瞭に言語化するために。

不安や憂鬱を感じたときは、原因の「言語化」が効果的

このブログを始めた理由は「自分の思考や感情を『言語化』したい」から。言語化のメリットは挙げれば切りがないのだけど、今日はその一例として、不安や憂鬱を感じた時の「言語化」の効用について。

 

朝電車に乗っている時、あるいは今日みたいな日曜の夜、「何となく」会社に行きたくなく、憂鬱な時がある。こういう時、ちょっと前までの自分は、ポジティブな音楽を聴いたり「勇気の出る動画」の類をYoutueで観ていた。

 

しかし、この方法は、自分にとってはあまり効果的ではなかった。「憂鬱」とは異なる別の感情を刺激して、憂鬱の存在をまぶしても、一時的に憂鬱な気分が和らぐだけで、結局、余計に疲れてしまっていた。

 

むしろ最近は、「何となく憂鬱」の「何となく」に真正面から向き合って、行きたくない理由を言語化するようにしている。

 

自分の場合、行きたくない理由を言語化すると、「Aという仕事を来週内に終えられるか分からない」、「Bという件の説明をうまく終えられるか分からない」、あるいは、「Cという仕事の段取りが見通せていない」といった形で、不安や憂鬱の原因が「将来の不確実性や不透明性」に帰着することが多いことに気付く。

 

それに気付いたからと言って、不安が綺麗さっぱり解消されるわけではない。だが、少なくとも、不安を等身大のものとして客観視することで、幾分不安が和らぐ。「もやもや」や「ぐるぐる」としか表現できていなかった得体のしれない不安や憂鬱が、理性によって認識され、一応統御されている、という感覚を持つことができる。それだけでも、自分にとって、言語化の効用は十分に大きい。